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LC/MS/MSにおける偶数電子イオンのフラグメンテーションについて-2

前回の投稿に引き続き、LC/MSに用いられるESIやAPCIなどで主に生成する、[M+H]+, [M+NH4]+などの低エネルギーCIDによるフラグメンテーションについて、今回は電荷移動の考え方を解説します。

LC/MS/MSの装置には沢山の種類があります。三連四重極、イオントラップ(ポールトラップ)、リニアイオントラップ、四重極-飛行時間、四重極-Orbitrap、などなど。それぞれに共通しているのは、CID(collision induced dissociation、衝突誘起解離)は低エネルギーで行われるという事です。低エネルギーとは具体的にどれくらいかと言うと、もちろん設定条件によりますが、数eV~50 eV辺りで使う事が多いです。もっと高い電圧(例えば100 eV)に設定する事も可能です。

低エネルギーがあれば当然高エネルギーもあり、高エネルギーCIDは、TOF/TOFや4-Sectorで用いられ、エネルギーは1 keV以上(多くの装置で10 keV以上)です。

CIDは、コリジョンセルにHeやArなどのガスを充満させておいて、そこにMS/MS分析の対象となるイオンを導入してガスと衝突させ開裂を起こさせる訳ですが、コリジョンセルにイオンを導入する時の電圧(スピード)が低いのが低エネルギーCID、高いのが高エネルギーCIDと言う訳です。例えば10 eVの低エネルギーCIDと10 keVの高エネルギーを比較すると、単純計算では高エネルギーCIDの方が、セルに導入されるイオンのスピードは1000倍速い事になります。一方で、コリジョンセルの大きさ(長さ)と言うのは、コリジョンエネルギーの大きさに依って変えるというのは、装置サイズの観点から難しいので、低エネルギーだろうが高エネルギーだろうが、それ程は変わらない事になります。

うだうだと書いて来ましたが、ここでは何が言いたいかというと、低エネルギーCIDでは、イオンは低い電圧でガスと多段階で衝突して開裂するという事です、

低エネルギーCIDによるイオンの開裂イメージを図1に示します。A-B-C+というイオンについて、B-C結合が開裂してA-B+が生成する反応と、A-B結合が開裂してB-C+というイオンが生成する反応の2つが起こり得るとします。それぞれの反応(結合の開裂)に必要なエネルギーは活性化エネルギーと呼ばれ、反応に依ってその大きさは異なります。

多段階衝突に依ってイオンの内部エネルギーは徐々に上昇し、最も起こり易い反応の活性化エネルギーを超えたところで、その反応が優先的に起こります。つまり、1つのイオンから複数の反応が並行して起こる事は基本的には無いという事です。もちろん、逐次反応が起こる事は有り得ます。

図1 ポテンシャルエネルギー曲線

 

1つのイオンから複数の反応が並行して起こる事がないとすれば、低エネルギーCIDによるMS/MSで得られたプロダクトイオンスペクトルは、観測されるプロダクトイオンの少ない、シンプルなものになる筈です。しかし、実際には、もちろん元の化合物にも依りますが、単純な構造の低分子化合物で、複雑なプロダクトイオンスペクトルを示す例は沢山あります。アミノ酸の一種であるアルギニンの[M+H]+のプロダクトイオンスペクトルを図2に示します。

図2 アルギニンの[M+H]+のプロダクトイオンスペクトル

 

アルギニンのフラグメンテーションについては、前回も一部解説しましたが、今回は、イオン化の際にプロトンが付加する位置に着目して、このプロダクトイオンスペクトルについて考えてみましょう。アルギニンは塩基性アミノ酸であり、グアニジル基内含め分子内に2つの1級アミノ基があります。ペプチドやタンパクの場合、ESIでのイオン化の際にプロトンが付加するのは、N末端アミノ酸と塩基性アミノ酸のフリーのアミノ基(窒素原子の非共有電子対)である事が知られています。アルギニンの場合も、分子の内部にあるグアニジル基の根元の窒素などより、分子の比較的外側にあるフリーのアミノ基窒素(図3の赤丸)の方が、プロトンが付加し易いと考えて良いと思います。

図3 アルギニンの構造

 

前回の記事で書いたように、正イオンのフラグメンテーションは、正電荷に向かって近隣の結合の電子が動く事によって起こります。もし、正電荷つまりプロトンの位置が、最初にイオン化する時に付加した位置に固定しているのであれば、赤丸の2つのアミノ基に付加したプロトンに起因するm/z 158イオンを生成するフラグメンテーションしか起きない筈です。しかし実際のスペクトル(図2)では、それ以外にも沢山のプロダクトイオンが観測されています。m/z 158イオンからの逐次反応によって生成するイオンである可能性はもちろんありますが、それ以外のプロセスで生成するイオンも当然ある筈です。では、それらのイオンの生成はどのように考えれば良いのでしょうか?

 

それは、電荷移動の考え方で説明できます。

 

例えばm/z 157イオンは、[M+H]+からの脱水によって生成します。これは、イオン化の際にアミノ基に付加したプロトンが、CIDによって励起状態になった時にカルボキシ基の水酸基に移動し、その正電荷に向かって隣の結合の電子が動く事によって起こったと考えられます。また、m/z 116イオンは、プロトンがグアニジル基の根元の窒素に移動した後に起こると考えられます。

 

電荷移動を伴ったフラグメンテーションの例を含め、m/z 116, 157, 158イオンの推定生成機構を図4に示します。

図4 m/z 116, 157, 158イオンの推定生成機構

 

次回は、偶数電子イオンにおけるマスシフトについて解説します。

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